西村幸吉さんは「南海支隊」の基幹となった高知歩兵第144連隊の下級兵士。
支隊は日米改選後、米国領グアム島、豪州領ニューブリテン島ラバウル、同東部ニューギニアに敵前上陸を繰り返した。
東部ニューギニアではポートモレスビー攻略戦が挫折し、支隊はほぼ壊滅した。
陣地撤退の際、部隊は歩行できない重症患者を陣地に残置。その際、隊として「骨は拾う」と約束した。

西村さんは60歳を迎える昭和54(1979)年、ニューギニアに渡航。 以後26年間にわたり、一個人の立場で、戦跡に放置された多数の日本兵の遺骨収容に当たった。 その生きざまは「ボーンマン」として旧敵国のオーストラリアで驚嘆を持って受け止められ、同国のテレビ番組や出版物で繰り返し紹介された。


大正8(1919)年 満0歳
12月08日 吾川郡長浜町で出生
大正9(1920)年 満0歳
01月04日 役場に出生届
昭和3(1928)年 満8歳
桂浜の坂本龍馬銅像 建立式典に参加
昭和4(1929)年 満9歳
04月 父親死亡
昭和8(1933)年 満13歳
長浜尋常高等小学校を中退、2月友人竹崎と上京
東洋機器製作所に勤務(北千住、高知県出身者経営)
中田製作所(後の興亜工業株式会社)を中田氏とともに設立。
母ら家族を東京へ呼び寄せる。家族は姉2人、弟1人、妹1人の計6人
昭和14(1939)年 満19歳
大田区の京浜工学院入学
昭和15(1940)年 満20歳
このころ興亜工業株式会社 職長として月給550円
昭和16(1941)年 満21歳
04月01日 歩兵第44聯隊に現役兵で入隊
09月27日 歩兵第144聯隊第5中隊に擲弾筒兵として編入
11月21日 朝倉屯営を暗夜隠密に出発
11月23日 「横浜丸」で坂出港を出発
12月10日 未明グアム島タロホホ湾より敵前上陸
昭和17(1942)年 満22歳
01月14日 グアム島アプラ港出航
01月23日 未明、ニューブリテン島ラバウルの「楠瀬浜」に上陸
03月05日 「横浜丸」でラバウル出発
03月08日 未明、ニューギニア島サラモアに敵前上陸
03月10日 サラモアに空襲あり「横浜丸」爆撃で沈没
03月13日 「チャイナ丸」でサラモア出発
03月15日 ラバウル帰着
05月05日 ラバウル出航
05月07日 5時45分より40分間珊瑚海にて空襲、爆撃を受けたが被害なし
05月09日 ラバウル帰着
07月29日 早朝バサブア上陸
08月25日 デネキ通過、カエレ戦闘
08月28日 ミウレ(アブアリ)で友軍衛生隊から誤射
09月07日 夜からエフォギ戦闘開始
09月10日 エフォギ戦闘3日目の夜が明け、第一機関銃中隊に収容される
11月10日ごろ バリイベ撤退。以後1月末まで78日間食糧支給なし
11月18日ごろギルワ到着
昭和18(1943)年 満23歳
01月28日ごろバクンバリ到着
バクンバリ―ホポイ―ニューブリテン島西端―ラバウルと移動
ラバウル到着は6月末
ラバウル―トラック―マニラ―台湾―シンガポール―インドャrルマ国境へ
09月04日 台湾・高雄沖で魚雷受ける
昭和19(1944)年 満24歳
02月04日 ビルマ第一線到着
02月18日 5中隊の指揮下を離れ、2大隊長直轄の独立小隊となる
07月07日 遺骨宰領の命令を受け、551高地近くを出発
帰還経路
同じ行路をたどった戦友・大崎鹿郎の軍隊手帳より
7月7日遺骨宰領護送のためシノー出発
7月10日アレチャン着
7月19日タンガップ着
8月1日タンガップ発
8月5日ラングーン着
8月13日ラングーン発
8月17日泰緬国境通過
8月20日泰国バンボン着
8月31日バンボン発
9月2日泰マライ国境通過
9月5日昭南着
10月11日乗船
10月19日出発
10月25日西貢着
10月29日西貢発
11月2日海南島着
11月8日海南島発
11月11日香港着
11月19日香港発
11月23日高雄着
11月26日高雄発、同日馬公着
11月27日馬公発
11月28日基隆着
12月11日基隆発
12月22日鹿児島着
12月28日鹿児島発
昭和20年1月1日門司上陸
1月17日高知着任務完了
昭和20(1945)年 満25歳
01月17日 高知着、遺骨宰領の任務完了
08月15日 高知陸軍病院に入院中終戦、年末に結婚
昭和29(1954)年 満34歳
上京
昭和30(1955)年 満35歳
東京・大田区で「西村機械研究所」設立
昭和54(1979)年 満59歳
07月高知県ニューギニア会の慰霊巡拝団に参加。戦後初めてニューギニアの地を踏む
昭和61(1986)年 満66歳
06月14日 元・宿毛―沖の島連絡船「おきのしま」(70トン)で高知市を出発
06月20日 硫黄島 着・発部
06月23日 アナタハン島 着ヴュ
06月25日 グアム島着
06月26日 グアム島発
07月03日 マダン着(以上、手帳の記述より)
この年、オーエンスタンレー山中エフォギに忠霊塔を建立
平成5(1993)年 満73歳
07月 オロ州政府のスペシャル・プロジェクト・オフィサーに就任
平成7(1995)年 満75歳
11月11日 第1つね丸(55トン)で石巻港出航(石巻日日新聞)
平成9(1997)年 満77歳
ポポンデッタに小学校が完成
08月18日 NHK ETV特集「鎮魂の森に生きる ニューギニア元日本兵の52年」
平成10(1998)年 満78歳
01月02日 日本軍がブナに設置した井戸のポンプを北海道の遺族に届ける
(1月3日「北海道新聞」)
このころ、大阪3企業がショベルカー寄贈
(大阪新聞、掲載日不明、記事中、西村氏78歳)
平成11(1999)年 満79歳
08月14日 毎日新聞夕刊8面「金歯は知っている」「頭骨持ち帰り身元捜し」
平成17(2005)年 満85歳
体調を崩し、ニューギニアにおける遺骨収容・慰霊の活動が終了
(お疲れさまでした!)
平成22(2010)年 満90歳
秋に「南海支隊戦友遺族会」設立。顧問に就任

南海支隊戦友遺族会
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